泡沫の書き置き

Twitterの延長

永久hoursと、Aqoursを振り返る

永久hoursのPVを観て、Aqourとの思い出をふと思い返した。

 2016,7年は過熱期だった。μ'sのファイナルライブ以降、Aqoursは単にひとつの2.5次元コンテンツである以上の眼差しを向けられつづけていて、そのお眼鏡にかなうはずもなくて、それでもAqoursとして自らの物語を必死に示し続ける姿を私は好きになった。彼女たちの姿は誤解を恐れずに言えば必死な"足搔き"だったと思うし、こういう原体験があったからこそ、それ以降の物語でも度々"足搔こう"というフレーズが登場するのだと思う。
こういった過熱さは、負の方向にばかり向いていたわけでもないと、私は思っている。ライブという機会を軽視したり、彼女たちの物語を批難するひとがいればこそ、そういう声に負けじと自分の熱も強くなっていった。ラブライブ!サンシャイン!!はラブライブ!サンシャイン!!としてよいコンテンツだと真剣に思っていて、それを分かってもらいたいという気持ちは、厳しい環境にあればあるほど募っていったと思う。少なくとも、自分にとってはそうだった。

 2018年は逆流を切り抜けた集大成を見せた年だったと思う。いちばん思い出深いのは4thライブの、東京ドーム公演だ。
浦の星交響楽団による演奏、Aqours shipによる壮大な演出、聖地で披露するWATER BLUE NEW WORLD。そして何より、Day2のラスト、ダブルアンコールに応えてもう一度出てきてくれたAqoursの姿を、強烈に覚えている。それまで自分が経験したダブルアンコールはμ'sファイナルしかなくて、ダブルアンコールをしていいときがどういうときなのか、判然としていなかった。でも、(たしかステージの右側から始まった)ダブルアンコールの声を聴いて、無意識に自分の声を重ねていた。自分の思いの丈をどうにかして届けたいと、Aqoursの名を呼びながら祈っていた。だから、Aqoursが最後にもう一度出てきてくれたときに私は涙が出るほど嬉しかったのだ。Aqoursにとってもこの場所を愛しく思う気持ちは同じだと思えたから。
4thライブは、いまでも私のなかのもっとも思い出深いライブであり続けている。ダブルアンコールの景色を、伊波さんのマイクを外しても聴こえた肉声を、きっと一生忘れないと思う。

 2019年は劇場版イヤーだった。とくに覚えているのは5thライブの虹の景色だ。
ブレードで虹を作ろうと言っていたのは明確にファンの発案だった。こういうライブ企画はぽっと出てはうまくいかず消えてしまうものだから、当時は「またなんか言ってるな~」と思っていた。だから、アンコール中にどんどん観客席に虹ができていったときは驚いた(焦って色を変えた)。虹が出来上がってみると思っていたより何倍もきれいで、その中でパフォーマンスをするAqoursの姿はいつも以上に現実離れしていたような気がした。
でも実は、ほんのりこの企画はうまく行く気もしていたのだ。それはこの企画が他のそれより優れていたとかそういうわけではなくて、5thのテーマだった劇場版は明らかに卒業が描かれていて、私たちファンとしても何か餞をしたいという気持ちをみんな持っていたからだと思う。たまたま映画の副題であった"Rainbow"がちょうどそれに当てはまっただけなのではないだろうか。だから、あの虹はAqoursがぼくたちに見せてくれたものだとも思っている。
4thのダブルアンコールに続いて、こんなに「ふつうに生きてちゃ見れない景色」を見せてくれた。大げさかもしれないけれど、今でも真剣に「この景色を見れるまで生きていてよかった。」と思っている。こんなにありがたいことはない。

 2020年以降はちょっと苦しい。Aqoursの新たなチャレンジがコロナ禍と衝突してしまったからだ。こういう偶然に色々を曲げられるのは仕方ないと割り切る質だが、パフォーマンスが最高に仕上がっている状態のドームツアーを見たくなかったはずがない。
そんな中で、"DREAMY COLOR"という楽曲の存在は必然と大きなものになった。Aqoursとして多くの歩みを重ねた沼津の地を舞台に作られた実写MVは、高海千歌ら9人が紡いだ物語の追憶であると同時に、ここから伊波杏樹ら9人が紡いでいく物語の芽吹きでもあったと思う。降旗愛さんが、どこかのライブ(たぶん5th)のMCで「これまでのAqoursはルビィたちが引っ張ってきてくれてここまで来れた。ここからは、私たちがAqoursを引っ張って物語を作っていく」というような内容の話をしていたのをよく覚えていたが、実写MVという形式はこの決意の表れのように思えたし、Aqoursにとっての転換点として自分もこのMVを大切に思うようになった。

 そして遂に、あいきゃんの約束通り、Aqoursは東京ドームに戻ってきた。2022年のことだから、もうあれから2年も経っているらしい。
Aqoursがコロナ禍で受けた制約は、その見た目以上に大きな意味を持っていた。なぜなら、アイドルは限りある時間しかできないから。それをみな分かっていたからこそ、コロナ禍を切り抜けた先で東京ドームの地にまた立てることは、ファンにとっても至上の喜びだったと私は思っている。
密なライブ活動はファンを繋ぎとめる役割を果たすし、その逆も然りだ。だから、コロナ禍を通して気持ちが離れてしまうファンも少なからずいたと思う。それでも、Aqoursを観たいと願うファンで東京ドームは満員になった。4thの約束がこの地に呼び寄せた縁も幾ばくかあるだろうし、もしくはコロナ禍のうちにAqoursのことを知ってくれたひともいたかもしれない。これほど喜ばしいことがあるだろうか!
最後列で隣あった近しい年代のふたりと終演後言葉を交わしたのも記憶に新しいが、自分のような一生ラブライブ!人間ではなかったからこそ、そういうひとまで呼び寄せてしまうAqoursと東京ドームの力の凄さを思い知らされた。

 6thライブ以降は、Aqoursとして9人揃って立つ舞台は(私の記憶によれば)そこまで多くはなかった。バレンタインライブには残念ながら足を運べなかったから、その後にこの目で9人のステージを見たのは異次元フェスだけだろうか。ただ、異次元フェスでのWATAR BLUE NEW WORLDや、きんちゃんが欠けていたもののユニ甲でのAwaken the powerは、これらが初披露された当時に勝るとも劣らない輝きを放っていたと思う。気迫溢れるパフォーマンスに圧倒される他シリーズのファンを見ることもあって、Aqours育ちの私としては誇らしいことこの上なかった。

 それでも、どこかでこの道に区切りが着く日が近づいてきているのも、なんとなく分かっていた。だから、私はFinaleライブの発表を知らされたときも、ショックを受けるというのとはちょっと違って、遂にか~、という気持ちが大きかった。来たるべきときがきてしまったんだな、と思った。
知らされた内容のなかには、救われるものもあった。「活動はけっして終わりではなく、Finaleライブは9人としての活動に区切りをつける位置づけにある」ということは、地元愛まつりなどをはじめとして続いていくものがあるんだろうな。そう思えたのが嬉しかった。

 一方で、やっぱり寂しくなることもある。昨日公開された「永久hours」もそのうちのひとつだ。Aqoursのライブが最後になるということは、Aqoursのライブテーマソングも、永久hoursが最後になるからだ。
昨日の夜、MV公開直前のTLは、なんだかみんなの「緊張する」というツイートで溢れていた。これを見てしまったら後には引けないという想いがどこかにあったのだろうか。

そうして、MVをリアルタイムで視聴した。

嬉しかった。

Aqoursが、沼津の人々と映っていることが。

Aqoursが、変わらない笑顔を見せていることが。

Aqoursが、私とおなじ想いを歌ってくれていることが。

とてつもなく、嬉しかった。

Aqoursは活動当初から、聖地でもある沼津とともに生きてきた存在だった。彼女たちが地元の人々に受け入れられる道のりは、平らなものではなかっただろう。その道を10年近く歩み続けてなお、沼津の景色と、沼津の人々と最後を飾ってくれるその関係が嬉しかった。
Aqoursのメンバーは9人。9人が全員欠けることなく10年近く活動することは、そう簡単ではない(ラブライブ!シリーズのファンなら、そのことを分かるはず)。Aqoursとしての活動は当然楽しいことばかりではなくて、もう一回やりたいと問われれば首肯できるひとは多くないかもしれない。それでも、永久hoursという曲にたどり着いた9人が、自分とともに歴史を重ねてきた変わらない9人の姿で嬉しかった。
Aqoursの9人が、なんども「忘れないよ!」と歌ってくれたことが、私とおなじ想いだったことが嬉しかったのだ。

 10年近く、ラブライブ!のファンをやってきて、「終わり」を迎えるのは2度目になる。
μ'sのときは、打ち上げ花火だと思った。自らのパワーで大空を駆け上がって、その頂上で華々しく散る。人生でどこでもみたことがない「終わり方」で、こんなに人々の記憶に刻む結びがこの世に存在したのかと驚いた。でも本当は、ぜんぜんまだやれることもあるんじゃない、という気持ちもあったのだ。
Aqoursの「終わり方」は、人生に似ている。きっとまだやれることはあるし、完璧なAqoursじゃなくてもこれからやっていく。でも、完璧なAqoursでいれる時間には限りがあるから、ちゃんとピリオドを打って、その時間をしっかり噛みしめる。どこか現実的で、でも現実的じゃないほど綺麗なこの区切り方は、全てを思いのままにすることは叶わないながらも諦めず足掻き続けたAqoursのアニメシリーズをどこか思わせる。勘違いかもしれないけど、そう思った。